ある診察室の風景

自分の診断名が腑に落ちない。いつしかそんな気持ちを抱くようになった。

それは仕事柄、精神医学や臨床心理学の学術情報や、DSMやICDなどの診断基準にふれる時間が長かったことから、ある程度の知識がついたことによるものだと思っている。

僕は専門家ではない。精神科医でもなければカウンセラーでもないし、それに類する資格を持つ者でもない。要は「多少知識のあるだけの素人」である。

僕の診断名は「身体表現性自律神経機能不全(ICD-10)」という。

身体表現性障害(あるいは身体症状症)という疾患カテゴリについては、精神医学界でも議論が尽きず、未だ様々な意見が対立している状態にある。それはつまり「体には異常がないにもかかわらず、身体的な苦痛や症状があらわれる」という独特の病態によるものだ。ある学者はそれを心と体の関係性を見直す契機であるといい、ある学者はそういう漠然としたカテゴリの存在自体が、無用な診断を増やしていると批判する。

それはともかく、今現在僕が取り組んでいるのはトラウマ治療である。おそらく複雑性PTSDやいわゆる「発達性トラウマ」などが複合的・多層的に絡んでいると指摘されているが、いかんせん指摘しているのがカウンセラーであるため、診断に反映されることはない。診断は医師のみに許された行為だからだ。

今のクリニックに通い始めたのは7年前。この7年を通じ、僕の病態は多様に変化し続けた。自律神経系の症状から始まり、フラッシュバックなどのトラウマ発作や解離症状、さらには発達障害の特性として挙げられる過敏性に似たものに至るまで、一つの病名にまとめるにはあまりに多様すぎる病態をみせてきた。

つまり要点はそこなのだ。「ひとつの病名ですっきり説明することが難しい」というところ。

だから僕はもどかしさを感じていたし、明らかにトラウマ性疾患の様相を呈しているにもかかわらず、一見病態に対応していないように思える診断にやきもきしたりもした。それと同時に、「こういう診断をされたい」と望んでいるかのような自分の態度に嫌悪感を抱いたりもした。

そういうことをカウンセラーに打ち明けてみた。僕は同じ日にカウンセリング→診察という順番でスケジュールが組まれている。だからまず、カウンセラーに今思うもやもやを話して整理してみた。

・僕は素人知識で自己分析をすることで、呆れられたくない
・とはいえ、僕のつらさをないものにはしてほしくない

そしてその後の診察で、主治医にそのことを話した。一つ断っておかなければならないのは、僕の主治医は非常に共感的で穏やかな人で、今まで上に挙げたようなことをされた事実は一切ない。これらは僕が勝手に思っていたことだ。

僕の疾患は多層的である。主治医とはそういう話をした。外傷的な体験を言語的・感情的に表現することができず、やむなく「身体」というプラットフォームで表現せざるをえなかった。ゆえに「身体表現性障害」である。主治医と僕の間では、疾患についてそういう合意が生まれた。

そして僕は、これまでの日常的な睡眠や不安などの表層的な不調ではなく、これからはトラウマという本質にフォーカスしていきたいと、主治医に言った。それに対して主治医は、そのプロセスを全力でサポートすると言ってくれた。だから、それで十分にすっきりした。もう自分が勝手に感じていたわだかまりはない。

主治医を信頼していなかったわけでは決してない。むしろ、この上ないくらいに頼りにしている。そうであっても、この対話を通じて治療者と患者というチームの関係が一歩進展したように感じられた。

そこに生まれたのは「すっきりした」という感じだけではない。
「これから頑張ろう」という気持ちも生まれた。メンタルヘルスの文脈で「頑張る」というのは語弊があるかもしれないが、言い換えれば「心強いチームとしてやっていこう」という決意のようなものだ。

僕の通っているクリニックはEMDRなどの専門的なトラウマ治療を行っているところではない。正直、そういう専門の医療機関に移ろうかとも考えたが、そう考えたとき「ここに来られなくなるのはいやだな」という気持ちが生まれた。執着でない。今のクリニックが拠り所になっている証左なのだと思う。

さいわい、かつて言語化することができず、身体の次元で表現するしかなかった傷つきは、今こうしてナラティブに表現できるようになってきた。それは大きな進歩だと、自分でも思う。

だから僕はこれからも、自分のためだけの言葉を積み重ねていきたい。
改めてそんなことを思った。