当事者性と自分。いかにして「痛み」はアイデンティティになったか

当事者性と自分。いかにして「痛み」はアイデンティティになったか

長いこと治療を受けるなかで、僕はトラウマや障害が自分のアイデンティティになっていたことに気づくことになる。そのことについて、少しだけ振り返ってみたい。

今ここにあるもの

僕は身体表現性障害(現在の呼称は「身体症状症および関連症群」)に分類される診断を受けている。しかし実際に僕が体験した様々な症状は実に多岐にわたるものだ。身体化による頭痛やめまい、息苦しさ。解離による現実感の喪失や離人感。あるときにはPTSDに極めて近い状態にあるとも言われたし、現に強烈なフラッシュバックに襲われたこともある。

僕の「痛み」の根底にあるのは、幼少期に受けた父親からの不適切な養育(あるいは心理的虐待とも)や、その後の人間関係における様々なトラウマ。いまだに父親への感情は昇華しきれてはおらず、今でも月に一回のセラピーを受けている。それでも最悪のときに比べれば、カウンセラーをはじめ周囲の人々が驚くほどの回復をした。

にもかかわらず、僕は自分の中にある「痛み」を手放すことを避け続けてきた。それはきっと、痛みこそが自己を同定する指標になっていたから。障害、トラウマ。それらがあってこその自分だと、どこかで自分をそう規定していた。

いかにして「痛み」はアイデンティティになったか

自分のアイデンティティの中に障害が組み込まれた原因は、大きく次の2つだと思っている。

ひとつは「奇妙な特別感(優越感)」。
精神疾患はときに特異な現実認識や感覚体験をもたらす。僕の場合で言えば解離によって生まれた「世界から切り離された感覚」などがそうだ。

僕はこれを自分に備わったある種の特殊能力か超能力のように捉え、(たとえ病的であっても)「他人とは違う世界が見える自分」という文脈で自分を肯定しようとしていたのだと思う。
その優越感じみた感覚が、極めて低い自己肯定感と不安定な自我で隙間だらけだった僕のアイデンティティを補完した。

もうひとつは「強い被害者意識」。
父親の養育と現在の障害との因果関係は明らかだった。その意味において僕は紛れもない被害者ではあるが、いつしか「父親の被害者」という属性もまた自分を存立させるために不可欠な要素として機能し始めていた。

この被害者性は同時に免罪符として、僕の中にあった復讐心を肯定するでもあった。つまりある種の特権。被害者性を持ち続ける限り、加害者に対して無尽蔵の悪意をぶつける権利が保障されるというロジック。
僕はこの免罪符を失うことを恐れた。「恐れた」と感じたときにはじめて、被害者性が自分のアイデンティティになっていることに気づいた。

自分の中になかったもの

あるとき妻に言われた。
「君は確実に良くなっているのに、どうして自分の病的な部分ばかりにフォーカスするのか。私には意図的に病気であり続けようとしているように思えてならない」と。当事者性、被害者性、そういったものにしがみついていて、それを失うことで自分が価値を喪失してしまうのではないかという不可解な恐怖は、確かにあった。

妻はこう続ける。「私は君が病気だから好きになったわけじゃない」

それからあまり間をおかず、ある記事を読んだ。
「○○修学旅行〜わたしだって、変われる〜」の実行委員長だった野邉まほろさんの記事だ。
「摂食障害」について、わたしが語るのをやめるとき。

摂食障害の女の子たちの背中を押すべく「修学旅行」というイベントを企画した彼女もまた、かつては摂食障害と戦っていた。NPO法人soarのイベントで直接お話をさせて頂いたのだが、そのとき感じた強い意志や思いやりから、これからの啓発や支援を続けていくのだろうなと感じた。(今思えばひどく一方的な期待の押し付けだったと反省する)

だから多くのメディアで摂食障害について語ってきたまほろさんが「卒業する」と宣言したのは、僕にとって小さくない衝撃だった。そしてその姿から「障害を経験した自分」だけでなく「治ったあとの、ありのままの自分」を肯定するという在り方を教わった気がした。

この先にあるもの

これらふたつの出来事を経て、僕はいまこうして拙い文章力を総動員してこれまでを総括しよう試みている。もちろん僕の中にはいまだ未消化の怒りや憎しみが渦巻いていて、それを制御するために多くのエネルギーを割いている状態だ。また別の記事としてまとめようと思うが、感情の制御と昇華のために「子供の頃の自分に手紙を書く」というセラピーを始めたところでもある。

このみちゆきがどうなるかは、まだわからない。けれど少なくとも、殴られた傷を免罪符として誇示し続けることは違うのではないか。そう思えるようにはなった。